(9): 視覚障害者ホームから転落事故について

ncv_essays今年8月、東京の地下鉄の駅で、盲導犬をつれて歩いていた視覚障害者が、ホームから転落し、死亡するという事故が起こってしまいました。

お盆の真っただ中に起きた事故で、利用者も少なかったのが不運だったと、ささやかに報道されていましたけれど、片田舎の駅じゃあるまいし、事故現場は、東京の銀座メトロ線のホームですよ。誰かいたやろに…なんでやねんな!と嘆きつつ、40年近くも身体障害者をやっていると、直感的に「これは障害者側の問題が浮き彫りになりつつあるな…」と感じた事件でもありました。

まず私の持論を語る前に、事故の状況をみていきましょう。

事故は、8月15日の夕方に起きました。東京メトロ銀座線の青山一丁目駅で、目が不自由な55歳の男性が、ホームから転落し死亡しました。

東京メトロによりますと、男性は、盲導犬を連れてホームを斜めに歩いていました。駅員が盲導犬連れの男性に気付き「お下がりください」とマイクで呼びかけましたが、男性はは足を踏み外すように転落。

非常停止ボタンが押されましたが、電車はすぐ近くにまで来ていて、間に合わなかったということです。

男性の勤務先の最寄り駅がこの駅にあたるので、普段から利用していたということです。

なのになぜ、転落してしまったのでしょうか?

本来、盲導犬は線路側を歩かせるよう指導を受けているはずなのですが、事故の時は、ななぜかホーム側を盲導犬が歩いていました。

盲導犬にとっては、ホームの端まで余裕があることから、危険を察知できなかったと考えられます。

その日の男性が、なぜ危険な線路側だったのか?

歩いている位置や方向を勘違いしていたのかもしれませんが、その理由はわかっていません。

目が不自由な人は、ホームに電車が入ってくるときは、決まって立ち止まるなど、一層の注意を払うといいます。しかしダイヤが過密な夕方のこと、反対側を走る電車のごう音などで駅のアナウンスがかき消され、男性は電車が来ている状況を把握できなかったのかもしれません。

安全の確認が難しくなるいくつかの条件が重なったのではないかと指摘する視覚障害者もいます。

そもそも、点字ブロックには3種類あり、それぞれの重要や情報を示しています。

視覚障害者の人は行く先々の地図を細部まできっちりと頭にインプットさせた上で、盲導犬のハーネスや白状から伝わる点字ブロックの情報を処理しつつ、聴覚、臭いなどの様々な五感を研ぎ澄まして、安全を確保しながら目的地へ辿り着くのです。

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8月17日の東京新聞に、この事件をめぐって、視覚障害者の人にとって、どのような危険が潜んでいるのか。白杖(はくじょう)を使う東京都盲人福祉協会の笹川吉彦会長(82)と一緒に事件現場の駅を歩いた。という記事が載っていました。一部抜粋して紹介しますと…

 ホームの幅は三メートル。壁が近く、圧迫感がある。電車が着くと、乗り降りの人で歩きづらい。電車のごう音で話し声も聞こえない。笹川さんが大声を上げた。

「音が大きく響くから、電車がどっちから走ってくるのか分からない」

笹川さんは四十年ほど前、ホームから落ちたことがある。JR高田馬場駅で人混みに押され、足元のブロックを見失い、安全な場所に戻ろうとして、誤って線路側に足を踏み出してしまった。

「発車直前で、もう終わりだと覚悟した」

この日の青山一丁目駅でも、サングラスをかけ、白杖を手に歩く笹川さんに気付く人は少ない。会話に夢中のカップルは、かかとに白杖がぶつかって初めて気付き、スマートフォンを操作しながら歩く女性がぶつかりそうになった。

進行方向を示す線状の誘導ブロックを踏みながら歩く。ホームの端一メートル手前で、ブロックの模様が点状に変わった。ここから先は危険と警告するブロックだ。

東京メトロ側は「警告ブロックは誘導する物ではなく、上を歩くことは想定していない」とのことで、たしかにホームの端にある、丸いぶつぶつの警告ブロックは、ホームの端を知らせるものであり、列車とも近距離で、上を歩くのは危険だというのは頷けます。しかし、視覚障害者の多くは「ブロックに頼って歩きたくなる。ブロックを踏んでいれば、絶対に線路に落ちないから」というのが本音なのです。

私も、点字ブロックの上を歩くものだと漠然と思っていました。それは目の不自由な人がこの点字ブロックを歩いているところを、見てきたから…なのですが、それは、あくまでホーム内を安心してあるくための、リスキーな手段だったのですね。

本来、点字ブロックと点字ブロックの間=中央を歩くのが安全とされているそうです。

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ホームに障害物がなにもない状態ならば、上の図のように中央付近を安心して歩けます。しかし、実際には、階段や売店、エレベーターなどがありますもの。中央を歩けなんて、そんなの神業ですよ。そんなの無理です!

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このように多くの障害物に加え、大勢の人たちが大きな荷物をキャリーでひっぱったり、スマホ操作したりしている中で、点字ブロックの上が、一番安心できる気持ちは、痛いほどわかりますよね。

ホームの端は危険、中央付近は歩きにくいとなると、視覚障害者はどこを歩けばいいのでしょう。

私たち車椅子ユーザーが電車に乗る際には、改札口で駅員さんに申し出れば、折りたたみのスロープを抱え、乗り込む車両にセットしてもらえるサービスが受けられます。目の不自由な人たちにも、同じように駅員さんが車両まで案内してくれるサービスがあるそうです。もちろん、降りる駅にも連絡して、その駅の駅員さんが出迎え、安全に誘導してもらえます。アメリカじゃ到底、こんなサービス、不安すぎておちおちガイドヘルパーなしには出かけらそうにもありませんが(笑)、有難いことに日本人はとにかく真面目で、人も車両もjust in timeの社会なので、これまでに一度も、迎えがなくて、降りられなかったというようなトラブルは無いのですが、このサービスを利用する障害者は、とても少数のようです。

なぜなら、こうした連絡や手続きなどに時間がかかりすぎて、目の前のダイヤを下手したら、2〜3台見逃さなければなりません。時間が無いと気などは、安全よりもエイヤー!とリスクを冒して自力で乗っちゃおうとしてしまうので、ほとんど利用されていないのが現状です。

少ない駅員さんで、ここまで手厚いサービスを受けられるのですから、闇雲に文句ばかりも言えませんが、もう少し時間をかけずに誘導してもらえるよう、態勢や手順の工夫を、各鉄道会社にしていただきたいと願います。スロープが必要なタイプの電動車椅子もありますが、わざわざスロープを設置しなくても、ちょっとの介助で電車に乗り込めることも実は多いのです。

次に駅の構造上の問題もみていきたいと思います。

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1列になっている点字ブロックは、ホームの端を示すものです。視覚障害者は、本来、この点字ブロックの上ではなく、もっとホーム内側の安全なところを歩く…ということは冒頭でもお伝えしましたよね。

でも、この駅では、ホームの幅が3メートルと狭く、点字ブロックに沿って歩くことも想定されているにもかかわらず、柱で一部のブロックがふさがれているのも、非常に危険な状態です。

そもそも、なぜ、ここに柱があるのでしょうか。

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実は、ここは、もともとはトンネルで、3両編成だった銀座線を現在の6両編成に長くするのに伴って、昭和30年代前半にホームの拡張工事が行われたとのこと。

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このときに、柱がつくられました。

まだ点字ブロックのない時代の工事だったため、この柱が、のちに点字ブロックの一部をふさぐ結果となってしまいました。

もうひとつ問題となるのが、こちらの点字ブロックです。

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直角に右に曲がった直後に、左に曲がるようになっています。連続した折れ曲がりは、歩いていて方向が分からなくなる恐れがあり、好ましくありません。

しかし乗り降りの際、視覚障害者が車両の連結部分のすき間に転落しないよう、中央のドアに誘導するために、やむを得ず曲げた苦肉の策だと東京メトロ側は主張しています。

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このような事故が起こると、必ず、「駅に危険な場所がないか、視覚障害者の意見を参考にして検証し、改善するか、改善が難しい場合は、ホームドアを前倒しして設置するなどの対応が必要」との声が真っ先に上がるのですが、そもそも予算がないから、こういう事態に陥っているのにもかかわらず、ハード面の対策ばかりを追求されるのは、なんだか安易な責任転嫁にも思えてきますよね。

なかでも一番安全な対策としてあげられるホームドアの設置には、莫大なお金がかかる上、設置にはホームの強度や形状などから、大掛かりな補強や改修が必要なケースが多く、営業しながら工事を進めるのは難しいといいます。また鉄道会社の費用負担も重く、例えば、銀座線全駅への設置には90億かかり、補助金はあるものの東京メトロも一部を負担しなければならないとのこと。計画があったとしても、これではなかなか現実問題前へは進みませんね。

視覚障害者の事故は、2009年度39件/2010年度60件/2011年度78件/2012年度93件/2013年度76件/2014年度82件 計428件(死亡事故に至ったケースも含む)で、驚くことに、減少するどころか、年々、増加傾向にあります。

これは、高齢化社会で急速にバリアフリー化が進み、障害者が出掛けやすくなったことが一つの要因になっていると考えられます。

これまでは、バリアで埋め尽くされていたが故に、熟練の鍛錬されたいわばプロ級の障害者しか外出が許されなかった状況であったのに対して、いまは障害者になりたてほやほやの人たちも気軽に出歩けるようになったからこそ、こうした事故が減少しない要因にもつながっているのでしょう。

だから一概に、昔と比べ他人に対して無関心であるとか、スマホの画面や音楽アプリに夢中で周りに気がいかない… 人間関係が希薄になっているなどと、よくいわれていますが、本当にそうでしょうか?

私は、現役の障害者として、今も昔も【多くの健常者の方々は、障害者を助けたがっている!!】と、そう強く感じます。
ただ、どう接したらいいのかわからず、ときに考えすぎて、結果、気にはなるけれど、無難に見て見ぬふりをついしてしまうのだと思うのです。

スマホなどの登場により、昔より見て見ぬふりがやりやすくなっただけの話です。

むしろ、障害者は奥座敷に隔離されていた時代よりも、いまの若者の方が、“障害者”を見慣れている分だけ、“気になる度合い”も上がっているように私は思うのです。

この度のニュースでも、駅員の積極的な「声掛け」や、「健常者の意識も変わってほしい。『危ないですよ』と言うだけで命を救えるかもしれない」などと最もらしい、偽善的なコメントはよく聞きますが、なぜ、その「たった一言がでなかったのか?」については、闇に葬られたまま、考えようとさえしていないのは、おかしくないですか?

きっと、今回のような転落事故現場に居合わせた人たちの中には、あっ!と思って動揺した瞬間はあったはずなのです。でも、その気持ちを行動に表せられなかった。このことこそが問題なのです。

それはたぶん、日頃から障害者はなるべく社会に対して、周囲に対して迷惑をかけないように、「自分のことは自分でしなきゃ!」という頑なまでの頑張りが、結局は、健常者側からの手助けや優しさを突っぱねてしまっているのではないか?と私は感じています。

それは、障害児教育のあり方であったり、そもそも「障害」というものを「克服」すべきものとして、障害児(者)に対し、常に「己の障害を軽くしようとする努力」を背負うことこそが障害児(者)の義務のような社会に、少なくとも日本はなってしまっていることも、大きな問題の一つなのです。

アメリカの障害者を取り巻く現状については、無知識過ぎるので比較のしようがないのが残念なのですが(不勉強ですみません!)、たぶんワールドビジョンでこの事件をみると、また違った解決の糸口が広がっていきそうな気がします。

目の不自由な人にとって、他の人と体が触れるなど、少しのことで方向が分からなくなることがあるといいます。常に大きなリスクを負っているということを前提に対応することが求められます。これらの知識をもって接しられたに越したことはありませんが、 そんなしょっちゅう居合わすこともない障害者に対して、いちいち十分な対応を求めるのは酷な話です。ただ声をかけて頂くだけで、それだけで十分だと思うのです!

それをどう受け止められるかどうかは障害者側の技量の問題であって、さりげないサポートを求める方が間違っていますわ!だって 下手に手伝ったら、怒りだす障害者が多いのも事実ですもの!そりゃ、見て見ぬフリされてしまっても仕方がないと私は思っています。

結果、だんだん無関心になっていっていく… という最悪のループに、いまハマりつつあるのが日本だと思います。

… とまぁ、たびたび社会にも問題ありありだけれど、実は「障害者側にも課題がいっぱーい!」なーんていっているから、障害者に嫌われる障害者として生きることを余儀なくされるんでしょうね!!

もっと日本をよくしていきたーい! 誰もがフツーに人間らしく暮らせる社会を!!

障害者の私にできることは、たぶんそう多くはないけれど、確実にその種を仕込んでいけたらなーという志と、障害者としてのプライドは果てしなく高い楽歩なのでした。

Author: 大畑楽歩

「奇跡のラブちゃん」と、各メディアで騒がれたこともあるが、いまだ脳性まひとも仲良く共存中。もうすぐアラフォーにさしかかろうとしているが最近、念願のドラムセットを手に入れ、ラブの好奇心とハッピーライフへの貪欲さはトドマルところを知らない。電動車椅子ユーザーの割にフットワークは軽く、ふら〜っと海外へエスケープしちゃう癖もある。

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