(6): 相模原障害者施設殺傷事件にもの申す!

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ncv_essays最近、こちら日本では、障害者関連の目の覆いたくなるような事件、事故が相次いで発生しています。

海外でも報道されたと思いますが、7月に神奈川県の相模原障害者施設で起こった殺傷事件について、脳性まひのワタクシが、もの申したいと思います。

障害者の友人知人たちは、あまりにもこの事件がショッキングすぎて、外出する気にもなれないと嘆いています。不眠症など心身ともにやられてしまった方も多い中、一風変わった障害者のワタクシは、ある境地に辿り着きました。

確かに私も障害者の一人として、犯人の「障害者は社会のお荷物だから殺した」という動機には、いい知れぬ虚無感に襲われましたよ。

でもね、仮に健常者が社会に役立つ人材というのなら、まともに歩けない、ろれつも回らない、字を書かせても何をさせてもトロクて下手クソ!な脳性まひの私を、そういう基準に当てはめるならば、間違いなく社会のお荷物だわね!と思えた瞬間、ウソみたいに身も心も軽くなれたんです。

その瞬間、私はそれまでのアイデンティティをぶち壊すことなく、自分に戻れた気がします。

なんせ40年近く飽きもせず、脳性まひをやってきているんですから、そりゃ、ちょっとやそっとでは壊れませんわ!だって私の特技は…ウフフフフ!脳性まひなんですもの!!

だいたい誰かと同じ色の夢や未来をなぞろうとするから、障害がハンデになるわけで、自分にできる、自分の理想のカラーに染めていけばいい話なんですよね。そう簡単で単純なコトなんですよ!

そうすれば、さほど障害なんて気にならないし、年とともに現れる老化現象を、誰も「障害」として捉えないのと同じ感覚で、あくまで自分の「一部」として障害と共存していけるわけです。

もっといえば、一般的に「夢=憧れの職業」という図式が成立すると思うのですが、たとえば夢が「教師になること」だとしましょう。

私の障害で教師になることは、まず不可能です。サブの教師をつけて実現させる方法もありますが、でも、ここで視点を変えて、「教師」って職業の名称に過ぎないという気持ちで見直せば、なぜ教師に憧れるのか?に行き着くと思うんです。

その答えは人によってさまざまでしょうが、私の場合は「伝えたい」というキーワードが浮かんできました。

つまり、なりたい自分や夢っていうのは実は「教師」そのものではなく、何かを「伝承していく」ことにある場合もあるんじゃないでしょうか?

「教師」という職業限定ならば、自分の抱える「障害」はとても大きなハンデに思えてきますが、「伝える」という観点で仕切り直せば、実にいろいろな道が開けてきますでしょ? あら不思議!!

たぶんね、ダレモカレも知らず知らずのうちに「健常者」という曖昧な基準に、捕われすぎているのでしょう。

それが証拠に、リハビリテーションの考え方も、昔よりは緩和されてきたとはいえ、あくまで「障害を軽くし、健常に近づけること」なんですよね。

実際、それが叶うのなら、そういう考えもアリだと思いますけれど、そんな無茶いうてたらあきません!だってそんなん無理な話ですやん!アホいうてたらあきませんのやで!!

もっと現実に即した、地に足着けた生き方を模索していかないと、結局、障害者は、一生頑張りすぎのくらしの中で、なんのために生きてるんだろう?という虚無感に襲われまくりの人生を終えることになるのです。

相模原の事件に戻すと、気の触れた犯人による犯行だと片づけてしまうこともできますが、結局は「障害はあってはならないもの」というハビコッタ考えが、犯行へと駆り立てたのではないか?と私には思えてくるのです。

これだけ飛ばしても、まだまだ障害者の視点から「ここがヘンだよ!健常者」を書き綴りたいことだらけなのですが(筆者は、なぜか障害者にも煙たがられておりますが!)、今月はこのぐらいにして、来月は、国内でもさほど取り上げられなかった8月に東京メトロ銀座線青山一丁目駅で起こった、盲導犬連れの視覚障害者がホームに転落死した事件について考えていきたいと思います。

あれ?NC滞在記はいずこへ!?

どうか気長にお読み頂ければ幸いでございま〜す♪

 

(注釈)「障害者」という漢字表現に対して、編集側では「障がい者」とひらがな表記の方がいいのではないかと提案したところ、楽歩さんからは「言葉そのものにこだわってもあまり意味がないと思ってます。下手に変えたら、かえって伝わりにくくな る恐れがあると思うし。」という答えが返ってきました。その言葉の奥から、彼女が毎日苦労している姿が見え隠れしたようで、なんだかはっとする思いでした。そんな表面的なことは実際、障害と戦っている人にしてみたら、正直どうでもいい、ということかなと理解しました。なので、あえてご本人の原稿の中では、そのままの漢字表現を使うことにしています。

「健常者」にしても意味的には、「その時たまたま健康である人」であり、常に健康であリ続けている人というのは、もしかしたらいないのかもしれません。健常者のそもそも論は、意義のあるものだと思うし、障害者表記にしても、もちろん掘り下げ考えてみることは大事だと思っている、と、楽歩さんも言われたし、いろんな視点から意見を聞いて各々見解を深めたり広げたりする機会が持てると、またそこから社会も変わっていくのではないかなと思いました。

Author: 大畑楽歩

「奇跡のラブちゃん」と、各メディアで騒がれたこともあるが、いまだ脳性まひとも仲良く共存中。もうすぐアラフォーにさしかかろうとしているが最近、念願のドラムセットを手に入れ、ラブの好奇心とハッピーライフへの貪欲さはトドマルところを知らない。電動車椅子ユーザーの割にフットワークは軽く、ふら〜っと海外へエスケープしちゃう癖もある。

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